第2回 アルカトラズ刑務所


画像No.1 画像No.2

画像No.3 画像No.4

画像No.1……文字が読みにくいですが、実際のアルカトラズ島の場所です。上の半島から市街への海峡に架かっている橋がゴールデンゲートブリッジです。
画像No.2……位置の拡大図です。
画像No.3……実際に港はありませんが、船着場のかわりに設置してあります。
画像No.4……アルカトラズ刑務所の拡大図です。


<アルカトラズ刑務所とは>

「サンフランシスコ湾のアルカトラズ島にあり1930年代に刑務所として利用され始め、殺人、強盗など重罪犯や、他刑務所で脱走を企てたり、暴動を起こすなど、矯正不能のレッテルを張られた服役囚を多く収容した、脱獄不可能の米国で最高警備を誇る連邦刑務所として有名です。」

 アメリカ合衆国、サンフランシスコ市街の目と鼻の先にあり1934年から1963年まで連邦政府の刑務所だった所、それがアルカトラズ島です。
 アルカトラズ島の歴史は実はとても長く、数千年前からネイティブアメリカン(インディアン)の人々がたびたび訪れていたそうです。事実、1776年にスペイン人がサンフランシスコに住み着いてから、アメリカがメキシコからカリフォルニアを併合する1846年まで、何の用途も無く放置されていました。その後、1850年代のゴールドラッシュによりサンフランシスコの人口は激増しました。それに伴い連邦政府はアルカトラズ島に灯台を建設し、陸軍が軍事防衛施設を建設するにあたり1853年から要塞化工事が始まりました。そして1861年に南北戦争が始まると南軍はサンフランシスコを攻撃目標とし激しい攻撃を加えました。すると、もともと陸軍の軍事施設だったアルカトラズ島は400人の兵士が常駐し、島の表面を砲台が埋め尽くす完全な要塞と化しました。
 1930年、世界大恐慌の時代、すでに老朽化して軍事施設として廃棄されていたアルカトラズ島を刑務所にしようと司法省から提案がありました。もともと、軍事施設時代には犯罪兵や国家犯罪者、米西戦争の戦犯、捕虜、反抗的ネイティブアメリカン(インディアン)を収容しており、その後警察に管轄が移っても似たような状況が続いていました。そして。第一次大戦で反戦主義者の収容所となり、司法省管轄の最高警備連邦刑務所としてアルカトラズ島は利用されました。
 アルカトラズ島周辺は、海水がとても冷たく、潮流も速くわずか2キロ先の岸まで泳げない上、島の周囲は断崖絶壁なので、脱獄は不可能と言われ、国中の脱獄常習者、問題囚人が集められました。脱走不可能として映画化もされたアルカトラズ刑務所からの脱走未遂も当然ありました。アルカトラズの歴史の中で計14回の脱走が企てられ、数人が脱走に成功したと言われていますが、記録は残っていません。そんな警戒厳重なアルカトラズ刑務所ですが、その警戒さゆえに自身の維持費が膨れ上がり、1963年、司法長官のロバート・F・ケネディ(ジョン・F・ケネディの弟)は閉鎖・放棄が決定されました。
 その後、ネイティブアメリカン活動家が活動拠点にしようと1964年から1971年まで7年にわたって占拠されましたが、彼らも今は立ち退き処分を受け、その後、連邦政府職員が刑務所官吏の住居や建物をブルドーザーで破壊しましたが、1972年に国会がゴールデンゲート国立レクリエーション地区を創設し、その一部に指定したことから破壊作業は中止され、島は国立公園事務局の管理となり現在に至っています。今では連絡船が運行され見学可能となっています。また「アルカトラズからの脱出」という映画の題材ともなり、1つの観光地として人気となっています。

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